Mo’ Beksinski !

日本人にとってゾンビというと、いまでこそ市民権を得たものの(フルチ、ロメロに感謝)、もともとはドラキュラやオオカミ男やゴジラみたいに架空のモンスターで、いまいち怖いという実感が湧かないものだから日本の肝試しでは「ゾンビだぞぉ〜」より「オバケだぞぉ〜」と脅かしたほうが日本の子供は怖がってくれる。それは火葬する国に住む人間の正直なリアクションだと思う。実際ゾンビ映画の生まれ故郷も、死体を燃やさずにそのまま埋葬する習慣があるアメリカだ。

埋葬となると、残ったのは体だけとはいえ、まだ手に届く場所にあるせいで愛する人の死を認められないエド・ゲインみたいな超ナイーブで現実逃避思考の人間をキチガイ行為へと暴走させてしまうのでは、と他人事ながら心配してみたりする。それに死体というただの『モノ』になった魂の抜け殻になった自分が、お棺の蓋の裏側という退屈な風景を毎日眺め、永久の孤独を味わいながら、ゆっくりと腐乱していくなんてこれほどわたしの恐怖心を刺激するシチュエーションは、飛行機の墜落以外に存在しない。



そしてベクシンスキーの絵にはそれと同類の西洋的でまた非社交的なホラーとテラーが混在する。生きているのか屍骸なのか、生物なのか静物なのか、孤独なのか、それとも孤独でいたいのか、得体の知れない『ソレ』は、どんよりと曇った空の中で何かに対する執着を、己の体で形どってみせる。

その幻想世界はまるで虫に一度は生き物としての生があったことさえ気づかせないまま静かに肉体を蝕んで殺し、夏が来ると内側から甲殻を突き破って『虫の形をしたキノコ』としての新しい人生を歩み始める『冬虫夏草』や、人間から見放された後に、長い歳月をかけてその形を成した、朽ち果ての『廃墟』が持つ、あの生と美のエナジーに似た何かを放出させている。